少女マンガにはなぜ恋愛がつきものなのか?

恋とマンガから、自分を見つける 羽海野チカさんのマンガより

恋とは人がむき出しになる領域である、という言葉を聞いたことがあります。自分の恋愛沙汰は恥ずかしくて他の人に言えなかったり、周りからいじられやすかったりしますよね。どんなにしっかりしたまともな人でも、むしろまともだからこそ、自分の恋愛についてあけっぴろげに語ることはなかなかないです。きっとそれは、恋というものは、自分で自分がコントロールできなくなるような、自分という人間のナマの部分が曝け出されてしまうことだからかと思います。これは恐らく生物としても反射であり、火星の領域。 しかし、占星術では、恋愛、特にまだ付き合っていないような片想いの恋愛は5ハウスの領域と言われています。5ハウスといえば、太陽、獅子座。創造・自己表現のハウスです。さて、なぜ恋愛が5ハウス/獅子座/太陽なのか、そのような相手不在の恋愛では一体何が起こっているのか、今回は、東京・西武池袋本店にて原画展「羽海野チカの世界展~ハチミツとライオンと~」(8/4-8/17)が開催される羽海野チカのマンガから考えてみようと思います。 ●『ハチミツとクローバー』 言わずと知れた名作です。"全員片思い"というフレーズを引っさげた、美大生の青春物語。主人公の竹本祐太(竹本くん)は、第1話から花本はぐみ(はぐちゃん)に一目惚れを果たし、中盤にさっぱり振られ、そのまま最終話に突入します。 「ずっと考えていたんだ 実らなかった恋に意味はあるのかなって 消えてしまったものは 始めから無かったものと同じなのかなって」 そんなモノローグへのアンサー。 「彼女の強さが弱さが全てが 僕に問いかけ続けた あなたはだぁれ?って」 「今ならわかる 意味はある あったんだよここに」 旅立つ竹本くんに、はぐちゃんが大量の四葉のクローバー入りサンドイッチを手渡し、それを食べている時のセリフです。 恋愛とは、"じゃあ自分自身は何者なの?"を問われることなのだと思い知らされます。きちんと自分の絵描きとしての道を見据えているはぐちゃんに対し、やりたいことが見つからずに苦しむ竹本くん。しかし、はぐちゃんを好きなのは、恐らくそんなはぐちゃんが好きだから。つまり、"自分が自分であるから、はぐちゃんに惹かれる"わけです。

nicoPLA.NET│心理占星術ウェブマガジン

雑記です。

少女マンガひいては女性マンガには、舞台が学校・会社・異世界であろうと、内容が学校生活・スポーツ・オカルトであろうと、

なぜ恋愛というテーマが並走していることが多いのかなあ?

と思っていました。なくても話自体は成り立ちます。感動だって出来ます。

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それで思ったのは、

“恋愛って、自己の完成に必要なのかもしれない”

ということ。

星占いで言えば、片想いは5ハウス。両想い・パートナーシップは7ハウス。

5ハウスについては以前ニコプラで書きました。
(「恋とマンガから、自分を見つける 羽海野チカさんのマンガより」)

片想いは、“自分の中の神聖な部分を見ること”だと思うのです。ちょうど、アイドルに自分の中の光を見るような、再確認の作業。それに自分で気付きながら、自分らしさを築き上げて行きます。

一方、7ハウスは、相手から“そこにいてもいいよ”と言われるような、名前を呼ばれて初めて自分が自分であることに自信が持てるようなハウス。

人間が二人いないと、自分が人間だと分からないような、そんなのと同じだと思います。


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そんな風に、恋愛って実は、“自分という存在を確認させる出来事”なのだと思いました。

そういう意味では、闘いを通して超サイヤ人になっていく、あの少年ジャンプのレベルアップ感と一緒ですね。

しかし色んな自己確認の方法がある中で、恋愛でなければ満たされない、いくつかの成長領域が出てくる。

腕力よりも意志の力よりも、一人じゃ出来ないような力。

きっとそれは人生でも同じで、なくても生きていけるのだけど、ないと自己が成り立たないような、そんな不完全さが恋愛における力なのではないか、と思うのでした。

少女マンガとか、恋愛とか、なめちゃいかんよってことですね(断言)

りんごログ

りんごのログです。自己表現・才能発現・生き方・ブランディングに関わるもの。

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