感想:花椿コミック『ダルちゃん』はるな檸檬
web版花椿で連載中のマンガ、『ダルちゃん』。
ダルちゃんを読み、自分の中のダルちゃんに久々に会ったぜ!という気がして、苦しみながらも楽しく読んでいるのですが、一番考えさせられるのが、この作品に対する皆様の感想。
様々、バラバラなのです。
当たり前ですが。面白い。
しかし、それと共に、本当にダルちゃんについて分かっている人って、実は物凄く少ないんじゃないか?という疑念が。
マンガになって、話題になるくらいなので、一定数響く人がいるはずなのに。
当然自分も自分を投影してるゆえ、本当に分かってるのか怪しいにもほどがありますが、でもやっぱり分かってる人が少ないと思う!
ので、勝手に私の読み取ったダルちゃんについて語るとします。
ダルちゃんは本当にどうしたいのか分からない。
ダルちゃんは学校や社会での身の振り方が分からず、見様見真似で形を作り上げていくサマが作中にあったかと思うのですが、そこにあるのは「爪弾きにされない方がいい!」という思いで、他にこうしたい!という思いがない/自覚してない/どうでも良いのだと思います。自我が希薄。
これは甘えでも何でもなく、私は発達障害の部類かと思っています。パーソナリティ障害ではなく、発達障害。だから本当に出来ない。
もし自分の個性をかんじる力があったなら、こうはならなくて、個性の中身がどう、というよりは感じる力が少なかったのではないかと思うのです。したいという気持ちがなかった。あったのかもしれないし、なかったのかもしれない。そして、そのような状況を悟らせない模倣の器用さがあった。なので自分にも誰にも気づかれないまま、個性が眠り続けていきます。その個性が強いか弱いかは、まったく別物なのです。
サトウさんに感じた嫌悪
ダルちゃんが珍しく嫌悪感を感じたというサトウさんの発言。あれは何だったのでしょう。私はあれは、自分の価値・価値観への冒涜に対する反応だったのかなと。これまで積み上げてきたダルちゃんの生き方と、努力と、気持ちを解りもしないのに、否定だけあっさりしないでくれないか?と。
だから、人の軸に揺さぶられていると言うよりは、ダルちゃんは実は頑なに自分のやり方を守り続けてきたのです。その防御力は誇っていい。しかしそこに横槍が入った。そういう意味で、サトウさんは慧眼だと思いました。
個性と価値観は違う。
星占いでいう1室と2室3室あたりの違いかと思っているのですが、個性とは、その人そのもの。身体や性質。あるがままの状態。価値観は考え方とか方針とかで、当然価値観と個性は別のものなのですよね。
で、ダルちゃんの話に戻すと、ダルちゃんはダルちゃんの価値観として「周りに合わせた」のです。言ってしまえば、それがダルちゃんの矜持であり、美学です。
しかしそれとダルちゃん自身は別物なのです。ダルちゃんは無意識的に自分の個性を守るためにその価値観を選び取ったのかもしれないし、個性が価値観を呼んだのかもしれない。
そして9話でそれがついに破綻してしまいます。個性が悲鳴を上げるという形で。価値観に本当は勝ち負けはないと思います。けれど、その人にとって無理か無理ではないかは、個性からくるものですよね。
というわけで、破綻したあと、ダルちゃんの個性がどういうものだったのか、というお話が続くのかなと思っています。
とても楽しみです。たとえ発達障害だったとして、個性もあるし、感じる感情もあるのですよ。何も封じ込める必要はない。
そもそもダルダル星人って一体なんのことなんだ。
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